ぢい散歩・城を訪ねて三千里(仙台城) .
 
 城を訪ねて、てくてく旅

(宮城県・仙台市)
 

  


伊達政宗騎馬像

 豊臣秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は、山形県米沢(72万石)から減封され岩出山(58万石)へ移った。その後、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの恩賞により徳川家康から62万石に加増され、岩出山城から仙台城へ移封となった。

仙台城は、初代仙台藩主となった政宗が慶長5(1601)年から青葉山で築城を開始し本丸と西の丸をこの地に置いた。
なお、築城にあたって政宗は、家康の警戒を避けるために、 あえて天守閣は設けなかったといわれている。

そして、政宗から数えて廃藩置県までの約270年に渡り仙台城は伊達家代々の居城であった。

城は戊辰戦争時には戦火を免れたものの、太平洋戦争時の仙台空襲により城の大半を焼失してしまった。


 

仙台城・大手門脇櫓

 


 

仙台城は標高約130mの青葉山と東南を断崖が続く天然の要害の上に築かれていた

 



仙台城詰門(つめのもん)跡。鳥居は宮城県護国神社


護国神社
 

  本丸跡に立つ伊達政宗像伊達政宗騎馬像

伊達政宗像

2022年3月17日 9時56分発生の宮城 福島 震度6強の地震で仙台城跡の「伊達政宗騎馬像」が傾き、 馬の足が破断する被害があった。
 
 



築城期(17世紀)の石垣(野面積み)

本丸北壁の石垣の構築方法

 

仙台城石垣
江戸時代に築かれた石垣
岩を「江戸切り」という方法で加工し、石垣の稜線を際立たせている


中門跡



仙台城・大手門脇櫓

大手門脇櫓



支倉常長像
支倉常長は知行600石の伊達藩士。慶長18(1613)年に伊達政宗の命により慶長遣欧使節団として(メキシコ経由にて)スペインとローマに派遣された。

支倉常長
支倉常長とサン・ファン・バウリスタ号 >>   準備中
 


三の丸堀跡

瑞鳳殿(伊達政宗公霊廟) 準備中   サン・ファン・バウリスタ号 準備中
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