爺さんぽ/城を訪ねて三千里(名胡桃城) .
城を訪ねて、てくてく旅

群馬県・みなかみ町)
 

名胡桃城(なぐるみじょう)の築城時期は、この地を治める沼田氏の一族である名胡桃景冬が明応元(1492)年に名胡桃館として築いたといわれている。

戦国時代になって天正7(1597)年ごろ武田勝頼の命により真田昌幸が吾妻の岩櫃城、利根の名胡桃城を始め山城や砦を攻略し天正8年に後北条氏の沼田城を調略した。

しかし、沼田城をめぐっては真田氏と北条氏がその占有を巡って争っていた。
このため、豊臣秀吉は、赤谷川の左岸を北条領、西(名胡桃城)を真田領とする裁定を天正17(1589)年に下したが、北条氏の沼田城代の猪俣邦憲が調略により名胡桃城を不法に占拠してしまった。
秀吉の「沼田裁定」を破った北条氏に対して、大名間の私闘を禁じた惣無事令に反したとして、秀吉は小田原征伐に乗り出すキッカケの一つとなったという。


天正18(1590)年に北条氏は敗れ、沼田は真田氏の所領となったが、その役割を終え廃城となってしまった。




本郭



利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城。
城の最高部は標高約99mで、利根川からの高低差は約50mとなっている。



名胡桃城址案内所




名胡桃城縄張り図
各郭が一直線に並ぶ連郭式の山城。



馬出

三の郭


馬出から三の郭への木橋

三の郭跡


三の郭縄張り図


二の郭


三の郭と二の郭の堀切


木橋と二郭南虎口

木橋と二郭南虎口の想像図
(現地案内板から)

二郭南虎口


二の郭縄張り図

二の郭と館跡


二の郭想像図


本 郭




本郭跡

本郭跡


本郭跡

ささ郭


本郭からささ郭へ

本郭とささ郭の堀切



ささ郭
城は名胡桃平とよばれる河岸段丘面の一角に立地している。 

ささ郭からの沼田方面
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