爺さんぽ/城を訪ねて三千里(岩櫃城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(群馬県・吾妻郡)
 


岩櫃城(本丸址)

真田家家紋・六文銭
岩櫃(いわびつ)城は真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた真田氏ゆかりの城で、真田信繁(幸村)が幼少時代を過ごした城といわれている。

この山城は、岩櫃山(標高802m)の中腹に築城されており、岩櫃山の険しい岩肌に守られた難攻不落の城でもあった。

築城時期および築城者については諸説あり、応永12(1405)年に斎藤憲行が築いたとする説や真田氏そのものが築城したとする説もある。
真田氏の勢力範囲であった上田城と沼田城の中間拠点として大きな役割を担ったといわれてる。

関ケ原の戦いにて真田昌幸長男・信幸は東軍、次男・信繁(幸村)と父・昌幸は西軍と敵味方にわかれたが、徳川方についた真田信幸は家康に従属して大名として生き延び、岩櫃城も存続することになった。しかし、慶長20(1615)年に徳川幕府が成立すると一国一城令により廃城となった。
         (続日本百名城に登録されている)

 




岩櫃城位置



岩櫃山(標高805m)
岩櫃山の中腹(594m)に城はあった。南面は岩櫃山の岩肌が広がり天然の要塞となっていた。
(岩櫃山はNHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルシーンにも登場した)




岩櫃城縄張り図


岩櫃城の本丸は標高594mにあった。南側は比高約200mを上らざるを得ず、比高約80mの平沢方面から攻めるにしても沢沿いの一本道しかなく容易に攻め入ることはできない城であった。



岩櫃山平沢登山口観光案内所



本丸跡まで観光案内所から約20分歩く



中城跡




急勾配の坂を登ると本丸へ


登り切るとさらに階段があり二の丸、本丸址へと続く



二の丸跡

二の丸跡



本丸址

本丸跡からの堅堀(たてぼり)

竪堀というだけあって急勾配の堀となっている


本丸竪堀からの眺め
こちらからは攻め込むことが出来ないほどの深さ!


櫓台があったと思われる本丸内の高台

櫓台跡


櫓台跡にある本丸址碑




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