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★ さくらと松本城 |
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五層六階としては現存する我が国最古の天守 |
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松本城縄張り図
太鼓門口
この時は孫も一緒
太鼓門
太鼓門枡形の一の門。江戸時代は倉庫として使用されていた。太鼓門北側門台上には太鼓楼があり鐘と太鼓で時を知らせた。 |
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太鼓門の巨石・玄蕃石
松本城最大の石で、権威を見せつけるために入口に置いた。重さ約22.5トン(玢岩/ひんがん)。
松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせた巨石で、康長の名にちなんで玄蕃石と呼ばれている。 |
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太鼓門の狭間(さま)
狭間(さま)は、城の塀や櫓などに設けた小窓のような穴。敵に対してこの穴から矢を射ったり、鉄砲を撃ったりする。 |
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内側からの狭間(さま) |
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黒門二の門
内堀を渡ったところにある門で、高麗門 |
黒門一の門
本丸御殿への門 |
天守閣
寛永10(1633)年、時の城主松平直政が大天守に辰巳附櫓と月見櫓を増築。現在の「連結複合式」の天守が完成 |
登城口下からの乾小天守と大天守
城の内部 |
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最上階の天井中央には、松本城のご神体「二十六夜神(にじゅうろくやしん)」が安置されている |
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天守からの眺め |
月見櫓
徳川家光は寛永11年(1634)に上洛し、その帰り道に善光寺参詣を願い、宿城として松本城を宛てることになりました。時の松本城主・松平直政は、急遽寛永10年(1633)から普請にかかったと伝えられています。しかし、家光は中山道木曽路等に落石があり、来松しなかったといいます。 |
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月見櫓の北側、東側、南側の三方向が開口部ですが、柱と舞良戸という横に桟(さん)を打った薄い板戸だけの建物です。月見をするときは、舞良戸を外し、畳敷きの部屋で東から昇る月を愛でた |
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月見櫓からの大天守 |
花頭窓は中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築の様式で、天守建築では格式の高い窓と |
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090424,10.4.17,14.08.17 |
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