犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が築いた。
天文6年(1537)、織田信長の叔父である五代織田信康が木曽川断崖の丘上に本丸を移築した。その後、信康の子・信清のとき織田信長に攻められ落城している。
天正10年(1582)信長の死後、織田信雄(清州城)の属城となり、城代が置かれた。
徳川家康が豊臣秀吉に勝利した小牧・長久手の戦(1584)では、秀吉が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城の家康と対峙したことでも有名である。
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木曽川に接する標高80mの断崖にそびえる犬山城
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最も古い天守閣 |
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文禄4年(1595)に石川光吉が入城。光吉は城を改修し天守を造ったが、関ケ原の戦いで石田三成の西軍側であったので所領を没収されてしまった。
慶長6年(1601)家康の四男・松平忠吉が清洲城に入ると犬山城には小笠原吉次が城代として入った。その忠吉は慶長12年(1607)に関ヶ原の戦いで負傷した傷がもとで死去。同年家康の十男義直が清洲に入封するとその家臣、平岩親吉が犬山城に入った。
その後、元和4年(1618)には尾張藩付家老・成瀬正成が三万五千石の城主となり成瀬家が代々藩主を務めた。
明治維新の廃藩置県により、犬山城は愛知県所有となった。しかし、明治24年(1891)の濃尾地震で犬山城は半壊してしまい、修復費を捻出できなかった愛知県は修繕を条件に再び成瀬家へ譲渡した。
その後、平成16年(2004)に27代当主・成瀬正俊氏が亡くなり、公益財団法人「犬山城白帝文庫」が設立されて移管された。
国宝にもかかわらずそれまで個人所有のお城だった。 |
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