丸亀城と石垣
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内堀から天守閣に向けて四段階に積み重ねた石垣は、高さ約60m。下の方は緩やかに組み、上部は垂直となる独特の反りをもたせている石垣。 |
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丸亀城は、生駒親正が慶長2年(1597)に丸亀平野にある海抜66mの亀山に、外堀と内堀を巡らせて築いた平山城。
天正15年(1587)に親正は、秀吉から讃岐一国を与えられ、播州赤穂から17万3千石の領主として高松城へ入封。
その後、隠居した親正は西讃岐を嫡男の一正に譲り、東讃岐の丸亀に城を建て城主となった。
城は慶長2年(1597)から築城にかかり、同7(1602)年に完成した。
しかし、生駒氏は四代城主・高俊の時、お家騒動が起こり、出羽(秋田)へ左遷されてしまった。
この後、寛永18年(1641)に西讃岐に入封した肥前・豊岡城主・山崎家治が、城の縄張りを新たにし、石垣が修築された。現代の城郭はほぼこの時代のもの。
万治元(1658)年に、播州・龍野(兵庫)から京極高和が6万石で転封し、その後は代々京極氏の居城となって、明治維新まで続いた。
明治2(1869)年には火事で、相当な被害を受けたが天守はかろうじて残り、現在の姿を留めている。 |