本丸跡にある藩祖を祀る庄内神社
鶴ヶ岡城は、室町時代初期に、武藤(大宝寺)長盛による築城が始まりといわれ、古くは大宝寺城と呼ばれていました。
武藤氏滅亡後、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで東軍に与した最上義光は、恩賞として大幅に加増され、現在の山形全土と秋田の一部の57万石を領する大大名になりました。
義光は慶長8(1603)年に大宝寺城を鶴ヶ岡城に改称しています。
しかし、最上義光の死後、家督相続による御家騒動が起き、元和8(1622)年に改易されてしまいます。
最上氏の改易の後に、信州松代より酒井忠勝が入部し、藩主酒井氏は、明治4(1871)年の廃藩置県まで12代・約250年にわたって鶴ヶ岡城を居城としました。
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庄内神社について
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