城下町てくてく歩き(鮫ヶ尾城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(新潟県・妙高市)
 


鮫が尾城本丸跡




鮫が尾城は上杉氏の「春日山城」の支城だったとされます。堀江宗親が城主を務めていました






鮫ヶ尾城遠景
天正6(1578)年に越後の上杉謙信が亡くなり、謙信の2人の息子である長尾家から養子の上杉景勝と、北条氏から養子になった上杉景虎による家督争いが勃発した。この戦いで上杉景勝が勝利して景虎が鮫ヶ尾城へ敗走して自害した城と言われています。この戦いを「御館の乱(おたてのらん)」と呼びます。



鮫が尾城(現地案内板から)
城内には150mを越える大きな竪堀や、往時を偲ばせる土塁、曲輪などの遺構を見ることができます。


上越妙高駅からタクシーにて鮫が尾城に向かいました
鮫が尾城への登城口 



山道となります



一の丸が見えてきました
尾根の主稜線に大規模な堀切や曲輪が並べられている


東一の丸跡

大堀切



二の丸跡



本丸・三の丸分岐

本丸へ



本丸跡




本丸跡



米蔵跡
本丸下にある曲輪で食糧庫があった場所



標高187mの本丸跡から頸城平野を臨む


斐太遺跡
(ひだいせき)






復元された竪穴式住居



斐太神社
大同2(807)年創建と伝わり、鮫ヶ尾城築城の際にこの郷の鎮護の神と定められました


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